別に占いでも何でもないのですが、今の社会の流れは社会のホワイト化へと向かっているような気がします。端的にいえば以下のような感じです。

・衛生的で美男美女が多い社会
・血の流れない社会
・合理的で無駄なく、勉強も労働もいらない社会

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それぞれ、解説していきます。

【1】衛生的で美男美女が多い社会
コロナが流行った昨今、コロナは重病だ風邪みたいなものだと意見は様々なありますが、マスクをしよう、手洗いうがいしよう、予防接種受けようという意識は社会全体では間違いなく上がったでしょう。病気に対する警戒感が上がりました。

平成初期ぐらいは「24時間働けますか?」みたいなCMが流れていたとおり、多少体調が悪くても、頑張って勉学や仕事に励めみたいな考え方がありましたが、今では、無理せずに家で休んでくださいという風潮が強まっています。一見やさしさのようにも聞こえますが、こちらにうつすな、周囲にうつすなという、病人に対する視線の厳しさそのものだったりします。最近では電車やバスで咳き込んでいる人がいると周囲の緊張感が高まりますが、まさにそれです。

病気への警戒に伴い、不潔そのものへの視線も厳しくなっていくでしょう。これが進むと、赤提灯文化は黄色信号です。赤提灯文化とは、古くて汚い店にこそ、意外に隠れた名店があるみたいな考え方ですね。店だけならまだしも、これが人に当てはまるとなると、「人間は外見よりも中身」という考え方が薄れていくこととなります。

数年前「人は見た目が9割」という本がベストセラーになった訳ですが、こういった考え方がますます言語化され、見た目が悪い人は淘汰されていきます。別に社会的差別を受けるとかはなくとも、「見た目が悪い→恋愛結婚ができない→子どもができない」といった世代を超えた形で淘汰され、最終的には美男美女だけの世界になっていくことでしょう。

もうひとつ、ついでに言えば、デジタルタトゥーという言葉が示すようなネット上に残した投稿や情報、経歴、逮捕歴、離婚歴、どこかにある防犯カメラの映像、Googleなどのサービス使用履歴など過去における「身ぎれいさ」も問われ、生まれてからずっと努力が必要になるでしょう。



【2】血の流れない社会
貴方が最後に人を殴ったのはいつでしょうか?私の場合、小学生のときに友達と喧嘩したときに殴ったような殴っていないような。ここ10年では保育園児の男の子にボコボコに殴られたことは記憶に残っていますが、小学生以上の人には殴られた記憶はありませんね。多分、今どきの小学生は殴らないと思います。ドラえもんに出てくるジャイアンは絶滅危惧種。

また、わかりやすく大声で怒鳴られた経験は最近ありますでしょうか?ねちねち言われたり、不機嫌な対応をされることはあっても、一定レベル以上の学校・管理職研修とかやっている会社においては怒鳴り声は消えてきています。

この2つの事象においていえるのは、一定レベル以上の人同士では直接的な暴力行為が滅多におきなくなったということです。ただ、暴力性というのは人間が持つ本能ですから、どこかで発散させる必要があります。ありがちなのは、スポーツやスポーツ観戦などで昇華させる、お金や地位を得る・それによってマウントを取る、ネットやSNSで悪口をいう、正義や正論を盾にしつつ戦争や政治で敵を批判する。ただ、暴力の直接性はより失われていく傾向にあるため、攻撃の仕方は姿かたちを変えて巧妙になっていくと思われます。まあ、最近の言論人はウクライナ戦争一色です。国益・平和とかいう言葉でオブラートに包みつつ、問題児をバッシングすることで暴力性を昇華させていることでしょう。


【3】合理的で無駄なく、勉強も労働もいらない社会
最近の若者は、デジタルネイティブと言われています。物心ついたときから、ネットで調べる習慣が養われています。インターネット様は先人の知恵の宝庫であり、手軽にいろいろ教えてくれます。転ばぬ先の杖として、ネットから情報を取得し、合理的・効率的に物事を実行していくことができるようにうなります。最短距離で、先例のあるやり方をトレースできるわけですが、道草を食うやり方・無駄の多いやり方と出会いづらくなり、良くも悪くも出会いの機会を失うことになるでしょう。また、先例をトレースしているだけなので、先例がないものに挑戦する心が育みづらいかもしれません。

その究極系が、勉強も労働もいらない社会です。勉強して苦手なものを克服するって、つらいし、生産性がありません。職業適性のない人が無理やり労働をしたところで、これもまた生産性が悪いです。SFチックな話になりますが、未来において機械が進歩し、人間が機械に生産性で負けるようになったとき、人間が労働をする必要性はなくなるのです。むしろ、人間が労働をすることが社会にとって足手まどいになる可能性すらあります。歴史学者ホイジンガは、人間とは「ホモ・ルーデンス=遊ぶ人」と言っていますが、学術研究、創作活動、生産的活動については、遊び感覚で極めている超優秀な人だけが従事するようになるでしょう。一方で、無能な人間(一般的な人間)は社会に生かされる状況(飼育されている状況)となるでしょう。



美男美女がいっぱい、平和で、働く必要もない。ホワイト人材の集まる大企業の人と接するたびに、そんな素敵なホワイト社会は遠くないと思うのです。まあ、大「企業」なので、まだ労働と修練の必要はありますが。