友達が沢山いるような人、交友関係が派手そうに見える人でも「人見知りなんです」とか「友達多くありません」とか言っている人は多いです。私も自身について友達は多くないと割と本気で思っていますが、他人からは「お前、明らかに友達多いだろ」とツッコミを受けることが時々あります。

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そういった人々について、彼らはどのような思考でそう発言しているのかを分析してみましょう。



【1】不要なヘイトの回避
リア充という言葉は今ではだいぶ死語になりましたが、いわゆるキラキラしている人のことですね。キラキラ生活をしているのをひけらかす行為は、無駄に反発を買うということを心得ている人です。何をもってキラキラしているかは、人によって様々ですが、お金がある、人脈がある、SNSフォロワー数が多い、パリピ、社会的地位がある(大手企業に勤めている)、凄そうなプロジェクトに加担していることを匂わせる、顔が良い、彼氏彼女結婚相手がいるなど、嫉妬対象になりそうなものであれば、何でもキラキラにカウントされる可能性はあります。

「友達が少ない」と主張するのは、そういうヘイトを回避するための知恵だと言えます。 ヘレニズム期ギリシアの哲学者エピクロスは「隠れて生きよ」などと言っておりますが、人々の摩擦に悩まされずに充実した生き方を追及する思想に通じるものがあります。


【2】弱さでさらなる助力を求める
何かしら大きいことをしようとしたり、アイドルのように人気が必要な商売をしたりする際、友達やら仲間やら支援者やら取引先やら増やそうとする手段として用いられることがあります。同情を誘う、もしくは庶民感を出して親しみやすさを演出する、笑いを誘うという意味で、その効果は期待されるでしょう。


【3】孤高で強さをアピールする
ぼっちをポジティブ表現に言い換えると「孤高」です。つるまない、流されない、自分の力で行動する、独力で奮闘するなど、一種のブランディングになります。匙加減を間違うと中二病臭くはなりますが、うまくコントロールできれば絶大なカリスマ性を得ることができます。完全に独りぼっちではなく、少数精鋭なブランディングをする場合でも、ある程度有効でしょう。


以上が「偽装ぼっち」を演出する主なメリットになります。一方で、中には「本当に友達が少ない」と思っている人もいます。


【A】広く浅くの付き合い
単純に知り合いを増やすだけであれば、何かしらの交流イベントやパーティに出かけるだけで知り合いは簡単に増えます。重度の人見知りだったら、壁の花と化し、確かに知り合いは増えませんが、何かの強制力でそのような場に引っ張り出された普通レベルのコミュ力の持ち主であれば、その気になれば知り合いの一人や二人はできるでしょう。
一度、何かの飲み会でたまたま同席し、3分間会話しただけでSNSで友達申請してくる人は少なくありません。それを何となく受け入れて積み重なった結果、SNSで友達の数は多そうに見えるという現象が発生することがあります。そういう人たちの大半は、何かの理由が無ければ連絡を取り合うことは無いでしょうし、理由があっても普段交流はないからなと連絡を入れて良いものか悩むレベルの親密度なのです。

【B】ファンクラブ、親衛隊(騎士団)、支持者、下僕の皆さん
友情というのは、ある程度、思考レベルもしくは社会的レベルが近い人同士で形成されるものです。当人がよほど傲慢な性格でない限り、ファンクラブの皆さんは確かに有難い存在であると考えるでしょうが、レベルがあまりにもかけ離れていた場合、「友達」という言葉が適切なのかどうかは難しいところでしょう。ケースバイケースですが、性的魅力に惹かれて集まった蠅たちや、金銭的・社会的恩恵に目がくらんでいるハイエナたちの場合もありますがね・・・。

【C】友達の定義は何か?を考えてしまう
傍から見れば友達以外の何物でもないような人たちでも、当人にとってすれば、本当に友達なのか自信をもってYESと言えないと思っているケースがあります。当人の思想信条が一般的なものでないことが多く、「友達とは何か」で本気で哲学している場合があります。自己開示が下手、極度の内向性、人間不信、同等の人が少ない環境で育った、仲間内ヒエラルキーにおいて優遇された経験が少ない、繊細過ぎるなど原因はいくつか考えられます。


最後に私自身について言えば、極度の繊細さでもって、友達の定義で頭を悩ませているから、友達が少ないと吹聴していますね。じゃあ、普段つるんでいるあいつらは何なのかと問われると、仲間、学友、悪友、戦友など呼び方は出会い方や一緒に経験した内容によってそれぞれあって、なんか友達とは違う気がするのですよね。