難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患うれいわ新選組の舩後氏が「インターネット上などで、『安楽死を法的に認めて欲しい』『苦しみながら生かされるのは本当につらいと思う』というような反応が出ていますが、人工呼吸器をつけ、ALSという進行性難病とともに生きている当事者の立場から、強い懸念を抱いております」と発言した件について。


まず、私個人の思想とするならば、四重ぐらいのロックを経た上でならば、重病者・重傷者に対する安楽死制度は選択肢としてあっても良いのではないかと思います。

そのロックとは、
①医師による3年以上の治療の継続、および公的機関による抽選で選ばれた別の病院の医師1名から充分な治療を行ったとカルテから判定を下された場合
②本人関係者(法廷相続人、3親等以内の血縁者、同居人、治療費の部分的負担者)2名以上の同意、もしくは公的調査で関係者が不在との断定
③本人の直近1年以内の意思or3年以上意識なしと医師の診断
④本人の直近3年以上の継続した意思変更なし(健康保険証に記載義務化、いわゆるリビング・ウィル)

細かい部分は突貫で今考えたものですが、大まかにいえば、一定期間治療の努力をした上で、当人の安楽死に対する姿勢が変わらなかった場合のみ可能というものです。

さて、今回、ちょっと考えてみたいのは「私の安楽死制度案の良し悪し」ではなくて、「当事者の意思」はどれほどに公共性のあるものかということです。


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数年前に私は中国に住んでいましたが、現地の中国人から「日本人は皆、貴方のように考えるのですか」と聞かれたことがあります。そこでは、日本人は私を含めて2人だったので、我々2人の行動や考え方は、そこにいた中国人にとって日本人のテンプレに見えたのかもしれません。ただ、少なくともこのブログを読んでいる人からすれば、私が「典型的日本人の代表だ」と言われると、「ちょっと待って」とは思いませんかね?

同じ日本人でもグラデーションというのがあります。男か女かそれ以外か。年齢がどれくらいか。収入はどれくらいか。身長や体重はどのぐらいか。抱えている病や怪我はあるか。何人友達がいて、そもそも友達とはどのぐらい親密であるのか。セックス経験は何人で、今から本気で誘えば何人とできるぐらいの魅力の持ち主なのか。安楽死については推進派か容認派か否定派か考えるのが面倒くさい派か。

さらに同じ一個人であっても、時期によって、思想なり言っていることなり、コロコロ変わります。彼氏と別れて号泣し、一生誰にも愛してもらえないんだぁと騒いでいる人が、数日後に新たな彼氏を見つけて幸せトーク全開だったり、健やかなるときも病めるときもと誓って結婚した相手と3年後に見事に別れていたり。一般人の本人の意思なんていうのは、変化しやすい危ういものです。私ですら1日100回ぐらい「死にたい」と言う日もあれば、長期的なプロジェクトのため未来のため夜遅くまで努力する日もありますよ。「死にたい」というのは、本人の意思であってもその瞬間だけでの判断では危険で、長期的な一貫性はある程度求められるでしょうな。

この辺で、舩後氏の存在そのものと、彼の発言をどう捉えるべきかを考えてみましょう。属性としては彼は確かにALSの当事者。ALS患者やその関係者から一定数票を集めたかもしれません(実質的には彼本人に期待するというよりも、山本太郎氏期待する票が政治的手続きによって彼の議席になったと解釈するのが妥当だと思いますが)。ただ、当事者にも思想にグラデーションがある訳で、すべての当事者の代弁者というのは厳しいですし、彼の意見を絶対視するのはそれはそれで危険だと思います。とはいえ、当事者だから見える細かい問題はある訳で、物理的に制度的にどのように困っているのかは、当事者の意見として傾聴する価値はあるでしょう。そういった意味では、障害者を「人間の盾」つまり絶対化しないで、参議院に一票を持つ一人の人間(ただし介助は必要)として扱うべきだとは思います。

面倒臭くなるぐらい多様性にあふれる社会の代表、代弁者というのは、なかなか重いものがあります。これは障害者だけに限らず、女性であるとか、性的マイノリティの友達が多いとか、若者であるとか、何々業界出身だとか、そういったラベルも同じようなものですね。同じ職場の中での人間関係で悩み、私に1時間半占いを依頼してきた人もいるぐらいの世の中です。当事者が属性の代表であるというのは無理があります。


少なくとも「生きる権利」についての議論はもちろん、「死ぬ権利」についての議論の封殺はいかんでしょうな。議論をすることそのものを禁止するのは、レイシストであり、言論の自由に反することですので。

ただ、1点悲劇なのは、トップにいる人というのはある程度のポジティブ思考を掲げなければならないということはあります。ネガティブ思考を掲げて人は付いてこないので、無理やりにでもポジティブ思考、正のエネルギーを発散する方向を掲げます。例えば、今更2018年10月に景気拡大は止まったと判断を下していますが、2019年のときは景気良好を政府は謡っていたはずです。ただ、2019年という微妙な時期に政府がわざわざ「景気が悪い」と断言してしまうと、それに影響を受けて多くの産業で金の巡りが悪くなるでしょう。そのため、政府の保身というだけではく、トップの影響力を考えればこそ、ポジティブに言い続けなければならないのです。舩後氏は、多分本人の思想として「生きる権利」の主張しているのだと思いますが、当事者の中で一番の著名人かつ権力者という立場からすれば「死ぬ権利」は脳裏をよぎっても積極的には言えないでしょうな。