行政のスリム化を掲げる維新の会の議員と、緊縮財政に反対するれいわ新選組のブレインがTwitter上で論争をしていました。行政のスリム化、いわゆる小さな政府というのは、行政の無駄を徹底的に削減し、行政の支出を減らして国の借金を減らす、それに伴い無駄な税金の徴収も抑えようということですね。一方で、緊縮財政に反対するということは、公務員を増やし、公共事業を増やすことで、国全体の金周りを良くし、貧困を無くす、国の借金は増えるけど通貨発行権は国にあるので財政健全化は重視しないとする考え方です。ついでに言えば、現政権の自民党的な考えは、維新とれいわの中間ぐらいですが、増税によって財政健全化を目指そうとする傾向があるところは大きく違いますね。

個人的に、維新かれいわのどちらかから国の財政の在り方を選べと言われれば、維新の方が妥当だと思われます。日本国内で経済が完結すれば、れいわ的考えも悪くは無いですが、国際社会から見れば、日本円に対する信用が失われます。日本円の信用が失われるということは円安になりますね。様々な物資、資源、労働力を輸入している日本において、極度の円安は望ましいものではありません。一方で円安になると輸出が良くなるとされていますが、財務省の統計によれば2018年以降は日本は既に貿易赤字国家です。生産拠点は海外に移され、技術的優位性もあまり無くなってきた現在、円安になったところで原料高のダメージも考えれば、輸出が希望になるとはいえないでしょう。

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とはいえ、緊縮財政にもろ手を挙げて賛成かと問われれば、私は、緊縮財政の前に考えなければいけないことがあると思っています。というか、緊縮財政的な考えに繋がる、「能率化」、「生産性向上」といった言葉に疑問を持っています。

私は、現在、エンジニアが本業です。日本のエンジニアの9割は広義でいう派遣労働な訳ですが、私も例にもれず、派遣な訳です。人手が足りない企業の仕事を契約期間サポートします。

さてさて、どこの会社でも、能率化・生産性向上・作業効率化(以降、効率化)を目指せとはよく叫ばれるものです。私の仕事場でも同様のことは耳にします。8時間の仕事を6時間で完了させられるとか、1日8時間労働って辛いと思っている人には、一見悪くない話です。

ただ、効率化するとその職場の仕事が減るということです。一人分の仕事がなくなり、派遣さん一人要らないねという話にもなりかねません。場合によっては、効率化で私の仕事も無くなることだってありえます。もしくは、減った労働時間分、契約の見直しで収入に影響するかもしれません。

現場の正社員だって同じです。効率化が極まれば、派遣社員や契約社員が一人ずつ減っていき、しまいには自分の立場も危うくなるでしょう。マルクスの資本論的には、たとえ年収が2000万円超えていたとしても、自分の肉体以外に生産手段を持たない人を「貧乏人」と定義しています。効率化を推進する作業は、貧乏人にとってみれば、自分で自分の墓を掘っているようなものなのです。利益を還元しない限りにおいて効率化して得をするのは、ノウハウやデータ、効率化のための機器やツールを保有した「会社」そのものだけです。


だからといって、効率化はしていかないと、会社そのものが倒産してしまうでしょう。貧乏人がいくら労働者を守れと言っても、会社が無ければ元も子もありません。ライバル企業の台頭も、業務の機械化・高度化・グローバル化の波も待ってくれませんので、資本主義社会である以上、現状維持とは衰退であり、効率化はしない訳にはいかないのです。

この状況から私が提案としたら、次の通りです。
使用者(現場責任者)に対して
・何のための効率化かを明示する。
・効率化後にやって欲しい仕事、長期的に成し得て欲しい仕事を明示する。
・人件費削減によってではなく、売上高の向上による営業利益拡大を目指す。
・ノルマや目標を達成しているならば、業務時間中に寝ていても評価を下げないことを保障する


労働者に対して
・仕事を手放すことを恐れない。
・常に仕事の知識スキルはアップデートする。
・単純作業よりも問題解決、問題解決よりも仕事の創造に価値があることを自覚する。



これらのマインドが双方にあって、効率化は初めて希望の持てるものになります。そうでなければ、自分が経営者・投資家になるか、貧乏人の場合は問題解決専門の究極の渡り鳥プレーヤー(コンサルや派遣)になるぐらいしか、生き残れなくなりますね。効率化は突き詰めすぎると、「人間苦しんで足掻いて生きていく必要はない」「産まれる前に産まれるな」に帰結してしまうので、大事なことにはきちんと意味付けしていくことが大事です。


ただ、我々現役世代は、貧乏人である限り、80歳ぐらいまでは働かないといけない未来もありうるでしょう。定年65歳っておいしいの?徐々に歳を取り、学習能力が衰えていく中で、常に知識スキルのアップデートが求められる社会というのも、しんどいものがありますね。しかも死ねない、死なせてくれない社会において。「自分の所有していないロボット」が、自分の為に富を稼いでくれる社会は来るのでしょうか?