先日、5回目の天気の子を観てきました。改めて何故5回観るほどハマったのだろうと思った時、個人的に自分のここ数年間とリンクするものがあったからだと理解しました。という訳で、ネタバレありで、超個人的な感想をここから書いていきます。この感想は、私の生き方が色濃く反映されているので、一般的な汎用性はあまりありません。


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この物語は、主人公・帆高が家出をして職無しで東京をさまよい、100%の晴れ女の陽菜と出会い、天気を晴れにする仕事を始めるのが序盤~中盤です。奇妙なことに、私はラストシーンよりもこの序盤~中盤あたりに涙があふれそうになります。最初は、雨の東京が晴れに切り替わる絵の美しさに心をうたれたのだと思っていましたが、それだけでは無いと気づきました。



このブログを書き始めた数年前、まさしく私も東京で無職でした。当時のあの感情を思い出していたのかもしれません。

私の場合は、幸いにも、ある程度物事を知っており、準備期間もあり、身分もやましいところはなかったので、彼の様に家無しお尋ね者までは流石にいきませんでした。また仕事は選んで応募して志望度の高い企業を落とされてしまったので、本当に職を選ばなければ働き口はあったのかもしれません。ただ、就活はもう埒が明かない、とにかく少しでも一歩を進めたいというやけっぱちの気分で、自営の道を無理やり進むという選択肢しかありませんでした。それで、何で稼ぐかと考えたとき、同世代男性にはあまりいないということで、10年ぐらい趣味で続けてきた占いを仕事にすることに決めたのです。

ただ、占いで稼ぐといっても、下記2点については常に心の底でくすぶりました。
・的中率は高いと自負するものの、100%では無いので、外れた場合は心苦しい。
・超自然の叡智を換金するのは、すごく卑しい行為であるように感じる。

そんなことを考えつつ、自分でWEBサイトを立ち上げ、出張占い一回4000円というビジネスを始めました。自営業をする際、価格設定には悩むものですが、相場とか自分の生活のバランスを考慮に入れつつも、卑しさの感情から、くだらない飲み会1回の代替分ぐらいとして4000円としました。

自転車操業程度の依頼数でしたが、お客さんの反応は悪くなかったです。中には、涙を流す人もいましたし、それなりの数のお客さんの気分を晴れやかにもしたとも思っています。私の想像以上に、たかだか未来の方向性を指し示すだけで人を幸せにすることはできるのです。そして、数十分以上真面目に人を占うと、何故だか天を仰ぎたくなるような気持ちに駆られるのでした。



さて、天気の子に話を戻すと、晴れ女ビジネスも、私とやっていることがほとんど同じ。WEBを立ち上げ、出張形式、3400円。陽菜も似たような感情を抱いていたのかもしれません。

陽菜は、「天気で稼ごう」と帆高に誘われたとき、最初は難色を示しました。金額設定も2人暮らしの大変さを実感しているのに、五千円や七千円ではなく結局3,400円という安い金額を設定にしました。そして陽菜は晴れにしたとき、晴れた空に向かって手をかざしながら観るという仕草をしています。夜の花火大会でも手をかざしていたので、眩しいだけが理由ではないでしょう。お金の為に天の力を利用することに抵抗があり、心理的バリアを張らないと明るい世界に顔向けできないような後ろめたさを感じていたのだと思います。

その一方で「私、知らなかった。青空が欲しい人がこんなにいるなんて」と確かに人を幸せにしている実感と、そこに自分の存在意義を見出すという矛盾した感情も抱えるのです。

しかし、一見順調そうな、お天気ビジネスも中盤に入ると辞めてしまいます。これについて帆高は、テレビに撮られて有名になり過ぎてしまった、陽菜が疲れてしまったと、お客に説明しています。実際のところ、このビジネスは構造的に無理があったと思います。時間的に1日にそんなに何件も依頼をこなせる訳がなく、定価どおりの支払い(劇中ではおひねりが追加されることが多かったけど)であれば、ジリ貧になっていきます。祈祷の際の三人分の交通費も馬鹿にならない訳で、1件だけ定額の依頼に対応した日の粗利は、その日分の食費と家賃程度にしかならないでしょう。そもそも論として、異常気象でなくなり、長い梅雨が終わったとき、仕事は枯渇するのです。

荒天の日、帆高がカラオケで「恋するフォーチュンクッキー、未来はそう悪くない・・・」を歌っていましたが、仮にお天気ビジネスを継続していたとしても、家を出る必要がなかったとしても、警察や行政に介入されなかったとしても、彼らの未来は詰んでいました。


劇中では最後に、帆高と陽菜は「晴れ女の能力&東京の晴天」を失う代わりに「陽菜」の昇天を回避する選択をしました。中盤に「青空が欲しい人」の願いや期待を沢山描いていただけに、積み上げてきた人々の想いを台無しにする選択でした。陽菜にとっては自分の存在意義を捨てる決断でもあったと思います。これについては、帆高が存在を認めてくれたからこそ、捨てられた訳ですね。いや、存在意義とかがどうとか、使命みたいなものに固執するどころか、世界(天)から許されて(解放されて)、何もない自分達だけど大丈夫と叫ぶ形で幕が閉じます。確かな指針もない世界における、本当の意味での自己肯定なのです。



愛にできることはまだあるかい
僕にできることは まだあるかい

何もない僕たちに なぜ夢を見させたか
終わりある人生に なぜ希望を持たせたか

なぜこの手をすり抜ける ものばかり与えたか
それでもなおしがみつく 僕らは醜いかい
それとも、きれいかい

答えてよ


天気の子テーマ RADWIMPS『愛にできることはまだあるかい』

私もビジネスとしての超自然を捨ててしまい、普通の人?となりました。お客さんの前で、生きる指針や意義を語ってきたつもりの自分でしたが、エンディングに流れるこの曲を反芻することがあります。我々は多分、とても醜くて、とても美しい。