芸術監督・津田大介氏の主催するイベント「あいちトリエンナーレ2019」で平和の少女像というか、慰安婦像が展示されていることに抗議の声が殺到したとのこと。表現の自由という観点では、一種の表現ではありますから像の存在そのものは許容するにしても(個人的にはこの像そのものは嫌いだけど)、実質的に「日本国に対する抗議」を意味する作品を展示することに対し税金でやるべきことなのかというのには疑問があります。

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先日の選挙の際、SNSのタイムラインで感じたことですが、親韓というよりは反日、いや、もっと正確にいえば左派というかリベラルというか反現政府主義的な人を支持する人は、割合として芸術関係者に多かったです。あくまでも全体的な傾向として。という訳で、芸術家はなぜ左翼的な傾向に走るのかをまとめてみました。

【1】 理想主義
左派が強く掲げる政策というのは「平和」「安全」「弱者救済」「多様性」といったあたりがキーワードになります。キーワードそのものは悪いものではありませんし、素晴らしい。というよりも、右派だってそれらを掲げてすらいます。問題なのは、それらに対してどのようにアプローチするかにあり、左派の場合は「非武装」「脱原発」「減税・再分配」「差別の撤廃」、右派の場合は「同盟強化」「規制」「安定した財源に基づく社会保障」「伝統的な考えと新時代的な考えのバランス」といった感じになるでしょう。個人的には、理想論でいえば前者の方が圧倒的に正しいし、現実的に考えれば後者の方に妥当性があると思います。今ここにない理想を追い求めるという意味において、芸術とマッチすることが多いでしょう。


【2】多様性の追求と弱者救済
前提として断言しますが、芸術家の人たちは変わり者です。芸術活動では普通、稼げないので、それでもその道を志す人というのは、その活動がよほど好きという変わり者だといえます。他の人とは違う道を強い意志でもって選ぶ、他の人よりも異常な執念とエネルギーをその分野につぎ込む、これなくして、とてもじゃないけどやっていけないのです。非芸術の専門職でも、人生におけるエネルギーの配分でいえば案外それほど変わらない訳ですが、それだけやって金が稼げるか否かという意味ではやはり事情は違います。

つまるところ芸術家は社会全体でみれば、マイノリティということになります。この場合のマイノリティは、少数派、もしくは、経済的弱者ということを意味します。また更に、芸術家にはそれぞれ何かしらの執着やらバックグラウンドがあることも少なくなく、能力的・身体的・思想的な意味でもマイノリティなこともあるでしょう。多様性の追求や弱者救済という意味では、左派的な方に共感するのは無理ないのかもしれません。


【3】反権威主義
「既成概念に捕らわれずに、自分の意志でもって判断する」というのは、芸術家の基本ではあるかと思われます。ただ、それを短絡的に捉えた場合、「偉い人が言っていることを愚直に妄信しないこと」→「社会・政府の欺瞞に反発しろ」という風に走ってしまうこともあるでしょう。この場合、現政権が右派とか左派とかではなく、とにかく偉い人に反発することが大事になります。ただ、日本の政権は右派なことが多いので、結果的にアンチ右派もしくは無党派になってしまいます。そもそも論として、他人に賛同するというのは、他人の思想を追従するという意味で、自分の思想の独自性を発揮しづらく、パンチが効かないというものがありますがね。

反対ばかり主張する人に懐疑的な信条を持つ私としては(だからと言って現状を肯定する訳でもない)、右派左派の考えの良し悪しは別として、「反対に走っていることが、果たして自分の意志で考えた結果なのか」を問うてみるのは、価値があることだと思っています。




総括としては、構造的に芸術家は左派的思想になりやすいです。もちろん、右派的な考えを持つ芸術家もいますし、場合によっては極右の象徴ともいえる著名な芸術家だって存在します。実家、パトロン、スポンサー、伝統のおかげで芸術活動を続けている人の場合は右派的思想になりやすいかもしれません。発言が目立つ人は、なぜその思想に至ったのかの背景を辿ると、案外面白いのかもしれません。あと、部分的に思想が一致しないから、その人はダメとかそういう世の中にはなってほしくないなと思う今日この頃です。