過去の自分を含め、6人ぐらいの顔を浮かべてこの文章を書き始めました。今は少しはマシになりましたが、10年前ぐらいの私は明らかにコミュ障でした。コミュ障と言っても、大まかに2パターンあって、人前で話したり社交的に振る舞ったりするのが苦手なタイプと、発言で意図せず人を不快にさせてしまうタイプがあります。その6人は断然後者です。全員がすべてに当てはまっている訳ではないですが、良くなったらいいなと祈りを込めて、人を不快にさせるコミュ障の特徴と改善方法をまとめてみます。


N825_wankappuwomochiunadareru_TP_V4
【1】拒絶のサインが分からない
・発言に対して、相手が無反応の場合、「聞こえていないのかな?ちゃんと返答聞きたいな」と執拗に同じ発言を浴びせます。

⇒ごく稀に相手は聞こえてないこともありますが、ほとんどの場合はちゃんと聞こえていますし、その話題に触れたくないのでスルーしていることが多いです。スルーしているのに、反応を求め続けるのは、相手の逃げ場を無くす行為ですので不快に思われて当然です。どうしても、問いたださなければいけない重要事項でもない限り、スルーされたら言及は野暮でしょう。


・提案に対してお断りをされたとき、言葉どおりに受け取ってしまいます。というか、言葉どおり受け取って、拒否されていると気づかない場合があります。

⇒コミュ障ではない人でも、相手の発言が建前なのか本音なのかを見抜くのは難しいです。ただ、連続して断られている場合(特にデート)、LINEやメールなどで他の人には反応があっても自分には反応が悪い場合、提案内容が問題というよりも、自分自身が拒絶されていることに気づくべきでしょう。


・そもそも自分に対する好感度を正確に理解できていないことが多いです。

⇒好感度を見誤ると、自分としては可能性があると思って異性にデートをぐいぐい申し込んでも、半端じゃなく嫌がられます。異性に対しての好感度の測り方は下記リンクを参考にしてください。
関連リンク:恋人候補として見なされなかったと悟った瞬間



【2】過剰な正義感と評価の見誤り
・議論中、本質・重要じゃないネガティブポイントをわざわざ指摘します。例えば、試し撮りした写真で、構図の話をしているのに、ピンボケしているとわざわざ指摘する。飲み会をどこでするか散々議論し中華料理コースの店に決まりそうなとき、100円安いからと和食料理コースの別の店を提案する。

⇒指摘や批判というのは、物事を改善していく上で必要不可欠なものです。ただ、それでも指摘や批判というのは、言われた側からすれば気分の良くないものです。ましてや、どうにも本質的な議論から外れたところで批判されるのは、いたずらにヘイトが溜まるだけです。ここではコミュ障の人が抱える問題が2点あり、それは「改善することはいいことだと思っている」のと、「話の流れから、本質と枝葉の区別や重要度が理解できないこと」です。本質からずれているところを改善するのは、努力やコスト、起動修正するためのモチベーション、そもそもの指摘されて不快だと思う気持ちなどと見合っていないことが多いでしょう。一利ぐらいはあるかもしれませんが、百害のダメージがでかいです。もし、議論に対してネガティブな発言をしようとする場合、それを言わない場合に生じる問題の程度を考えましょう。そして、発言をした場合は誰のメンツが潰れる可能性があるかと、誰がどれくらいの労力で修正対応に追われるのかは最低限考慮すべきでしょう。


・グループ内の議論が止まっているときに、積極的に発議することがあります。

⇒空気を読んだから空気を読まなかったんだ、止まっているからこそ何とかしたいと、それを思うこと自体は義憤に駆られた良いことではあります。ただ、その前提となる部分は見えているでしょうか?

まず残念ながら、人は皆平等ではないのです。業務やプロジェクトでは、立場や役職等で序列があります。一見、平等な友達コミュニティでも、力関係や好き嫌い、そして何よりも信頼度の序列があります。何を発言するかも確かに大事ですが、誰が言うかもかなり重要な要素です。特に友達コミュニティにおいて、信頼度の序列が低いと、「お前が騒ぎ立てるな」と周囲の人に思われることでしょう。信頼度については、コミュニティへの貢献度と、コミュニティ内での人間関係の良好度の総合力です。自分の貢献度を振り返る際、自分が無能な働き者になっていないかには注意しましょう。無能な働き者は、無能な怠け者よりコミュニティや組織にとって害悪です。誤解がないように追記すれば、「無能」というのはスキルの有無というよりも、「正しい判断力も正しい行動力も備わっていないのに、勝手な自分の判断で行動してしまう」という意味であり、「ゼークトの組織論」として割とその界隈では知られている論です。

なお、「コミュニティ内の信頼度」という意味では、コミュニティ外での権威や肩書は、そのリソースやスキルを活用してくれるならともかく、そうでない場合は無視するべきでしょう。いくら外ではご立派でも、結局貢献してくれなかったら絵に描いた餅ですし、むしろそういった肩書を盾にしながら話をしてくるのは面倒くさい人(害悪認定)扱いです。逆にそういう肩書の人が問題発言を連発すると、その肩書の人達全員が同類扱いされてしまうこともありますので、一層の注意が必要です。



【3】言葉選びが悪い
・謝罪を求められている場面で「そういう視点もあると思いますが、不快に思われたなら謝罪します」「この部分については謝罪します」と、条件付きで謝罪をします。

⇒理屈としては全くもって正しいです。ただ、これを言われた相手からすれば、ファイティングポーズを解除していないように思えます。場合によっては、「そんな謝り方あるか!反省が足りん!」と逆上される恐れもあるでしょう。感情的融和と細かい補償条件の交渉は、少なくとも数十分以上の時間差をつけなければなりません。謝るときは、徹底的に全面的にノーガードで謝り、相手の感情を落ち着かせることを最優先です。相手が落ち着かなければ、そもそも理性的な交渉が不可能でしょう。もし、謝ると同時に条件をつけるとすれば、誰かを庇うことぐらいですが、「私ら(経営陣)が悪いんであって、社員は悪くありませんから(山一證券倒産時)」みたいな感じで情に訴えることができるか次第ですね。


・「〇〇さんはこう言っていますが、自分は××だと思います」といった形で、必要のないところで、他人と比較します。

⇒本人には敵意やマウンティング(威嚇・牽制)の意図は無いのかもしれませんが、必要のないところで、他人を比較する場合は、亀裂を生みだします。「〇〇さん」がそれを聞いていたら、挑発されたと思う可能性があるでしょう。議論をする場合は、発言内容に注力すべきであって、発言者を否定しているように聞こえないよう注意を払うべきです。つまりは「〇〇さん」と名指しするなど余計なことを言わんでよろしい。


・「は?」「問い詰める」「~べき」「~させる」など強い言葉や命令形をよく使う、「どうせ」「でも」「逆に」などのネガティブ接続詞をよく使う、相手を持ち上げた後にお株を下げるといった話題の順序など。

⇒たかが言葉、されど言葉。発言の本質的な趣旨は変わらなくても、些細な枝葉の部分で、その言葉の印象は大きく変わります。強い言葉や命令形は、威圧感を与えます。友好的なコミュニケーションをとる際の阻害要因です。命令形を使うよりは「~して頂けます?」「~してくれたら嬉しい」と行動は相手の意志を尊重する言い方に変えるのが良いでしょう。また、ネガティブな接続詞は、相手を否定していると捉えられてしまうリスクを高めてしまいますので、多用はお薦めできません。話題の順序については「イケメンだけど馬鹿」「馬鹿だけどイケメン」という発言だと、どちらが心象が良いかということです。後者の方が心象が良い訳ですが、会話でも最後には持ち上げるよう心掛けるのが大事です。もちろん、コミュニケーションに自信がない人は、無理に最初に落とすようなことはしない方がいいでしょう。愛のあるディスリって難しいですから。






悪人になりたくて悪人をやる人、人を不快にさせたくて人を不快にする人というのは、滅多にいないとでしょう。むしろ、コミュ障の方々は、悪人どころか、善人の部類であることが多いと思います。しかし、読解力の欠如、過剰な正義感、発言の影響範囲への無理解、自己認識の誤り、目の前の相手への理解、目の前にいる相手とは無関係な場所から発生した自分の権威やプライドへの固執、日頃の信用不足、言葉に対する無頓着さなど、コミュ障の人は様々な問題を抱えているのも事実です。そして残念ながら、これらは小手先の言葉だけ直そうとしても、かなり難しいものがあります。言葉は心、心は言葉。心と言葉は密接に関係しているからです。心底思っていることは、日頃どんなに注意していても、何かの拍子に、ぽろっと漏れます。

おそらく、ある程度まともな人が集まるコミュニティに属したことがあるのならば、周囲から、言動に対して何度かは注意を受けたことがあるのではないでしょうか?明確な注意を受けたとき、口うるさいなとか、それは些細すぎる指摘じゃないの?捉え方の問題じゃないの?と思っている限り、改善はまず不可能です。些細な言動の積み重ねが、周囲に不満を抱かせているのですから、心から悔い改めないと改善できません。あえていつも以上に偉そうに書いていますが、そこまで強く言わないとコミュ障の人は己のヤバさに気づけないのです。実際に昔の私も、注意を受けたことすら気づかないことが多々ありました。


最後になりましたが、この記事を読んで、前半は「枝葉」という言葉を否定的に扱い、後半は「枝葉」を重要視するように書いたことについて、いちゃもんをつけないでほしいなと願っております。