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私は2011年12月~2013年1月までの間のほとんどを海外を拠点に生活していました。それから早数か月。もはや日本で暮らしているのが、当たり前になった今、何を思っているのかまとめてみました。

【1】日本の広告が自分に向けて微笑むようになった

日本に住んでいると、テレビ広告、雑誌広告など様々な広告に囲まれます。その中でも特に電車やバスでみかける交通広告や屋外広告は、その地域に根付いた人々をターゲットとしています。定住を開始してからというもの、そんな看板に描かれているアイドルたちが自分に向けて微笑むようになりました。

一時帰国していたとき、それらの広告を見ていると、そっぽ向けれていたような感覚に陥ります。例えるなら、大学に入学したときに、他の新入生は部活やサークルのチラシを山ほど貰って受取拒否まで始めているぐらいなのに、自分には一枚もくれる人がいないみたいな。静かなのはいいけど、日本の商業活動から外れてしまったようで、それはそれでちょっと寂しいですね。


【2】自分が特別な存在だという感覚が無くなった
通常外国は、日本人が住んでいい場所ではありません。向こうの政府から特別に住む権利を承認してもらうというのが、向こうの国に住むということです。つまり、国外に住んでいるという人は、その事実だけで、特別な存在だといえます。

外国に住んでいたときは、公的でなく、もっと私的な出来事でも、自分は特別な存在であることを実感していました。外国に住む日本人は、その地域で数少ない日本人のサンプルと化します。どんな行動をしても、日本ではそれが普通なのかと思われます。行動によっては、日本人ってスゲーとか、案外大したことないとか、日本人全員と二度と顔を合わせたくないなど、思われてしまいます。もはや日本人の代表なのです。例外的に観光地ならば日本人は多いので、程度は軽いかもしれません。

日本に帰ると周りはみんな日本人です。自分が特別でも何でもないことを実感しつつ、静かに人混みに紛れるのでした。


【3】日本人の他人と無条件の仲間意識が無くなった
外国で日本人に会うと無条件に仲間意識を持ちます。その人と自分の共通点は「日本人である」ということ。ただそれだけです。同族意識、もしくは同郷意識とでも言えるのでしょうか。圧倒的に少数派という状況が創り出すマジックといえます。

しかし日本に戻ると、周りは日本人だらけ。その環境では、同じ日本人というだけでは仲間意識を持ちづらくなります。それどころか、満員電車や交通渋滞では彼らの存在そのものが不快に感じますし、同業者とではライバルになるでしょう。


日本人を見かけても、日本語が聞こえても、ときめきを感じなくなったとき、少し寂しくありつつも日本に慣れてしまったことを実感するのです。



追記:ブログネタ「気になる・気をつけてほしいと思う「傘マナー」ありますか? 」

傘立てのある文化って素敵です。中国には傘立てがありませんので、玄関一面に傘を置いてます。しかも、開いた状態で。彼ら曰く、これで干しているのだそうで。滅茶苦茶気になりますから、誰か中国に傘立ての文化を普及させてください。日本は傘立てがある国で良かったですよ。