友達という言葉の定義は人に拠りますが、もし「何も考えずにいつもつるめる相手」となるならば、私には一人も友達がいません。その一方で、もし「飲み会やイベントなんかで顔を合わせる人達」と定義するならば、多分、一般的な人に比べれば多い方だと思います。

実際、非常にありがたいことに、週末は色々な人からお誘い等がありますので、暇だと思ったことはここ数年ほとんど無いのです。参加すると宣言した順、参加保留状態のときは面白そうな企画の順に、スケジュールを埋めていきます。このような人付き合いのメリットは、特定の人に縛られるというストレスが少なく、人の輪が特に意識しなくとも拡大していきやすいということでしょう。

ただ、デメリットというか、時々考えることがあります。今しばらく結婚の予定は皆無ですが、もしお見合いツールか何かで密かに相手ができ、自分の結婚式で友達を10人までしか呼べないとしたら、誰を呼ぶかということです。私の中では、友達というカテゴリの中に当てはまる人々に、親密度といった序列が無いので、選べないのです。よく冗談っぽく、「結婚式するときは呼んでね」と言われることがありますが、その勘は正しいかもしれません。おそらく、そのように念を押した人から順に、割と真面目にピックアップしていくと思われます。

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結婚式に限らず、自分から何かを企画するときは、いつものメンバーというのがいないので、イベントの趣旨、地理、年齢層、性格など、何かしらの指針を無理やり設けないと、誰を誘うべきか選定すらできません。そのため、自分から企画するというのはあまり好まず、やや受動的になる傾向があるでしょう。

ある種の公平性が、そんな弊害を生んでいる訳ですが、「友達は沢山いるような、全くいないような人」というのは、私に限ったことでは無いのだと思います。そして、そのような人達は「ちょっと面倒」という感情が人生を狭くします。


ところで、イベントの幹事側になるとよく分かるのですが、ドタキャンというのには非常に悩まされます。先日も、私が幹事側だった数十名規模の飲み会が、相次ぐドタキャンによって数万円単位で赤字を出すこととなりました。これは深刻な問題です。何故ドタキャンされたのか、正確に分析(ドタキャンした人に個別ヒアリングできる?)するのは難しいので、想像するしかないのですが、理由は次のいずれかでしょう。

1.仕事が急に入った、仕事が予想以上に長引いた
2.自分もしくは家族(ペット含む)の体調悪化
3.ちょっと面倒くさい

仕事とか体調はどうしようも無いので、無事を祈るしかありません。まあ、「ペットの体調悪化との建前で、本音では面倒くさかった」というのが、女性にデートでお断りされるときに珍しくはないパターンであるものの(遠い目)、いずれにせよ鬼門なのは「ちょっと面倒くさい」です。

「ちょっと面倒くさい」って、好奇心を一気に減退させ、機会を潰す、最凶の麻薬的感情なのです。数日前から凄い楽しみにしていたイベントなのに、いざ前日・当日になるとなんか行きたくない。行ってみると多分、楽しいというのは分かっているのに。そんな感じの感情ですね。仕事などでは嫌でも行かなければなりませんが、プライベートの遊びとなると、絶対に行かなきゃ、約束守らなきゃというプレッシャーがどうしても弱まるのです。もちろん、アポ成約済みのイベントに限らず、行こうかどうか迷っているイベントにもこれは当てはまります。

面倒くさいに負けるというのは、金・時間(予定に制約されない自由な気分含む)・体力・気力の残量を気にした結果ではあるのでしょう。そして、ある程度自己防衛もしないと破産なり、本当に体調を崩すなりする訳なので、理に叶ったことでもあります。まあ、やっと意中の相手とデートの約束をこぎつけたといったシチュエーションであれば、多くの人は無理をしてでも、スケジュールをねじりこませ、約束の実現に向けて努力しますからね。面倒くさいと思えるイベントは、それらの残量と比較した上で、魅力の薄いイベントなのは間違いないでしょう。

幹事側としては、面倒くさいをどう打ち破るのか苦心するのが、集客タスク(魅力的な企画、まめな広報、ダイレクトに個別連絡、直前リマインド、キャンセル赤字対策の事前集金、幹事の普段からの人徳)となります。幹事というのは、無視、ドタキャンなんか慣れっこです。広い集客を考えるのであれば、10人声をかけて1人反応してくれるだけでも良い方だとすら考えることもあります。(あくまでも反応であって参加してくれるかは別)とはいえ、幹事も人間です。梨の礫が続く人には誘う気力が起きなくなります。



ここからが、言いたいことなのですが、公平性を重視しているような人は、自分でイベントを企画するのが苦手な傾向にあります。イベントを楽しみたいならば、人に誘ってもらうしかありません。しかし、「ちょっと面倒」という気持ちに負けて参加を拒否し続けると、そのうち誘われなくなります。そうなってくると、その幹事周りのコミュニティに居づらくなりますので、別のコミュニティに、0人脈で勇気を持って飛び込む以外、遊び相手がいなくなるのです。

それが悪化すると、広く浅く、様々な場所に顔を出したものの、所詮1回か2回酒を飲んだだけの関係なので、そもそも好感度の優劣をつけることすらできない。つまり大事な人を選ぶことがますますできず、自分は公平だと訴えることでしか、孤独を正当化できなくなります。


正直なところ、私が言うのも難ですが、
「みんなが集まる」と称する7人以上の飲み会は会話に深みがでないので嫌いですし、飲み会で一回だけ会った人を友達と称するには抵抗あるし、酒がこの世から無くても困らない部類の人間ですし、飲食だけが大人遊びだとは全く思っていませんし、誰かと一緒にいると後で同じくらい一人の時間が無いと精神的に発狂しそうになりますし、そもそもイベントそのものが何となく面倒くさいとすら思いますがね。覚悟を決めて、自分は○○が好きと公言し、優先順位をつける生き方をする方が、縛りはあっても相対的には楽なのだと思います。