ある難病にかかった人がいました。その人の知人が、周囲に寄付を呼びかけた結果、沢山のお金が集まり、治療できる目途がたちました。「治療費が集まって良かったですね。元気になったら何をしたいですか?」と寄付者が、病人に無邪気に問いかけます。「テレビを見ながら、晩酌したいですね」

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この話は、数年前、私を宗教に勧誘しようとした人が、私から生きる活力を奪おうとして、聞かせたものです。そのため、本当にあった話しなのか創作話なのかは不明ですが、いずれにしても、現実にありえそうで、やるせない気分にさせます。

そう、この話は、人をやるせなくするのです。

テレビを見ながら晩酌という、ぐーたらで平凡なありふれた幸せ。しかし、難病という試練を乗り越え、みんなに助けてもらった命をそんな幸せに費やすのって、それで良いのかと心の奥底から問いかけが来ます。また、支えた側からの視点を想像するならば、人の幸せにとやかく言う筋合いではないのは分かっているし、見返りとかは特に求めないにしても、自分はこんなことのためにサポートをしたのかと、少しばかり残念な気持ちになるでしょう。



さてさて、私、ここ数年間、海外で生活したり、無職になったり、貧乏個人事業主になったりと、普通の人とは違う生活を送ってきました。まだ、個人事業主時代の後始末が残っていますが、それが終わる数ケ月後には、凡庸な給料所得者に多分なれます。凡庸なとさらっとは書いたはものの、その立場を得るために0から滅茶苦茶勉強しましたし、様々な人の理解やサポートがあって何とか生き抜いてきたことは自覚しております。だから、凡庸と言うのは、実は物凄くありがたいものだと実感しております。

とはいえ、数か月後色々物事が落ち着いてきたとき、私は何を想うのだろうと、時折考えるのです。人間、暇になると碌なことをしません。悩みも、いかに強く生きるかとかそういったことではなく、娯楽にシフトします。前職の職業柄、そういった人は沢山見てきました。

西洋占星術の根本的な原理において、結婚と恋愛は別物で、恋愛と娯楽は共通のものとして扱われます。つまり、暇人ほど恋だの真実の愛だのそういった方面で悩む割合が多いです。それは本人が未婚・既婚関わらずです。まあ、恋愛以外の人生の愉しみ方を知っている人は、暇になればそっちの愉しみを探究しますね。

実際には、一般論として安定した幸せが長く続くことはまずあり得ませんし、私の場合だと先日ようやく合格したIT技術の資格のさらに上級を目指すなど、先を見据えたらやることに終わりなんか無いのです。