こはウラニアへ至る門低き憂いさげすまる


貧乏フリーランスを経て、今はサラリーマンやっています。前の仕事は自転車操業状態プラスの多額の報酬未払いで、正直、厳しかったです。不幸中の幸い、家賃やガス代などの滞納は無かったし、他人に借金を作っていないので、貧乏とはいってもたかが知れている方ではありましたが、逆にある意味で中途半端にちゃんとしているからこそ、精神的には楽ではありませんでした。

今はスーツを着て「いつもお世話になっております」とか言っちゃうような状況。未経験職種でのお仕事のため、給料は大学新卒に毛が生えた感じの年収ではありますが、一人で生きていく分には困らない額にはなりました。

さて、ある意味では暮らしぶりがランクアップしたと言っても過言ではない訳ですが、それに伴い、精神状態がどう変わったのか、どう変わらなかったのか、まとめてみました。

【1】死にたいの重みが変わる

私はメランコリー気質なため、今の普通の状況でも、嫌なことがあったら死にたいと思うことは多々ありますが、貧乏時代とは前提が一段階次元が違います。

物理的に数か月後には生きられないかもしれないといった次元の話であり、一日100回ぐらい死にたいと呟くほどであり、一度はいのちの電話を利用してしまうぐらいです。先を考えられなくなると、目先のことに捕らわれやすくなります。今日一日、長めに見て今月一か月どう生き延びるかが課題であり、人生何とかしようという方には頭が働きづらくなります。

他人から悩み相談を受ける仕事一度でも生業とした身としては暴言のように聞こえるかもしれませんが、身分が安定している上で自分個人の問題による死にたいは、物理的にヤバい状態での死にたいよりも、根源的な悩みとはいえないよなーと思います。下の図はマズローの欲求5段階説というもので、「衣食住が安定して、始めて自己実現で悩める」といったことを意味していますが、私はこれを物凄く実感しました。
マズローの欲求5段階説

【2】数千円程度の損失にならば、痛覚が鈍感になった

飲み会で男女が集まると男幹事が「じゃあ、野郎は6000円、女の人は2000円ね」とか言い出すわけです。貧乏時代、この時の私の心境は「てめー、自分のええかっこしいのために、勝手に決めてんじゃねー!それにそこの女の人の収入は、多分私の2倍以上だ!」とか心の底では思っていました。我ながら、こんな記事を書くぐらい、動揺していた訳ですよ。

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今、同じシチュエーションであるならば、多分、特に何も思わずに6000円普通に払うことでしょう。

貧乏というのは少額の金銭問題で本当に動揺します。飯奢るから来てよと言われ、交通費往復500円かけたとき、交通費と自炊での材料費を比較するぐらい追い詰められます。貧乏人に奢るならば、奢りたい人が貧乏人の交通費のかからない場所に来て奢るのがスマートかもしれません。(でも、奢って下さること自体にはとても感謝しています)あと、フリーランスの場合は、打ち合わせで交通費出費させて、拘束時間も発生したにも関わらず、やっぱり案件なくなりましたーとかいうのはダメージがでかいですからね。ご配慮を。

【3】交流会ではいつだって人と比べる

無職時代でも、フリーランス時代でも、人前に出なければ人間ダメになると、わりと本気で意識していましたので、財布とシビアな相談をしながら、なるだけ人前には出るようにしておりました。ただ、人前に出たら出たで、やはり精神的に穏やかではありませんでした。所得のヒエラルキーでいうと底辺なのです。特に男という生き物は、穏やかな関係であってもどこかしらで勝負したがるものであり、年収というのはその勝負に関わる一番わかりやすい物差しだと言えます。つまり、人前に出るというのは、その集団の中での敗北を甘んじて引き受けるということに他ならないのです。

ただ、あまりにもストレスだったので、私はなるべく同世代の人とは会いたくはありませんでした。年齢が同じだと、社会人〇年目にしては多いね少ないねと収入の比較がしやすいからです。その辺りの計算がぐちゃぐちゃになるようにと年の違う人(少し年上)とつるむことが多かったように感じます。そして、今、未経験分野に転職し相応の給料をもらっているこの状況は、未だ同年代の大卒男性に比べれば多分給料は少ない方かもしれないということ。人前に出て、この会合の中では多分下の方という感覚は拭えませんでした。

おそらく、更にジョブホッピングするなどして給料が上がったとしても、男特有の所得ヒエラルキーからは逃げられないように感じます。そして、仮にその会合の中で上位に来てしまったところで、多少の優越感はあるかのかもしれませんが、この世で最も負の感情を向けられやすいのは金を持っている人であり、それはそれで居心地が悪いのかもしれません。

結局のところ、他人と比較しての幸せというのは、果てしない苦しみへの挑戦みたいなものであって、どこかで感情を制して自己肯定しなければいけないのですよ。

私より所得の低い男が、嫁と娘との家族写真を見せびらかしているこの世界。少なくとも、写真を見せびらかしている彼は、所得が低くても嫁さんに何かしらの要因で認められたのです。それは彼の自己肯定感の高さとは決して無関係ではありません。

【4】嫌な奴は、自分が変わっても嫌な奴である

誰にとっても正義というのは中々存在しえないものですが、悪というものの中には誰にとっても害悪でしかないものが確かに存在します。公共の場でごみをまき散らすとか、意味もなく不快な音を立てて騒ぐとかは、いかなる立場からしても、肯定できるものではありません。

まあ、そこまで害悪でなくとも、世の中には相性が悪いため、何となく嫌な奴というものはいるものです。貧乏なときというのは、総じて卑屈になりがちなので、その嫌な奴とやらも、卑屈故に嫌な奴と感じているのではないかと、自分の人に対する好き嫌いの感覚に自信を持てなくなります。それが自分の収入が普通になると、自分が卑屈すぎるのではという懸念が外れ、現実が見える訳です。
 
両方体験した私からすると、いい奴というのは、立場に関わらず本当にいい奴だし、嫌な奴と思ってしまったのであれば、自分の立場が変わっても嫌な奴です。また、相手の立場を見て切り替える人については、自分がどのような立場にあろうともいい奴には分類できませんね。



両方体験して思うのは、今の現実を受け入れて、それがどうであれ意識的に楽しく過ごそうとしないと、結局いつになっても楽しめないということです。ただ、それを差し引いても貧乏であると、普通よりは限界点が低いので、単なる卑屈さの問題だけでは済まないこともあるにはあります。