先日、とあるボランティア活動をしていたところ、とある人から「君は何故、ボランティアをするんだい?」と質問されました。その時は「面白そうだからです」と答えました。

後ほど、よくよく考えてみると、もはや、私にとってボランティアというの理想的な社会理念があるとか、そういう高尚なものではなく、惰性的に続いている趣味のひとつとなっております。我ながら変な趣味だとは思いますが、趣味故に私は変わっているのか、私が変わっているからそんな趣味を選ぶのかみたいなことを考えてしまった次第です。

という訳で、今回は趣味について整理してみました。


趣味


まず、この図をご覧いただきたいのですが、趣味を分類してみました。縦軸が「生産的」か「消費的」か。横軸が「個人的」か「社会的」かになっています。生産的だから良いとかそういう訳では無いですが、それぞれの意図は次のとおりです。


「生産的」:自分個人で創意工夫の余地があり、やり方次第では副業として稼ぐことができるもの。
「消費的」:伝統や法人の規定するやり方があり、よほど極めない限り、稼ぐ方向に応用しづらいもの。
「個人的」:一人でできるもの、あるいは複数人でやるにしても、身内数人で収まるもの。
「社会的」:見知らぬ人と作業が発生する可能性が高いもの。



中には、スタンスによって、属性が変わるものもあります。「料理」という趣味は、自分で楽しむか、誰かを喜ばせたいかで、配慮の仕方やメニューが変わります。また、ボランティアでも、非営利団体の運営者としてのスタンスと、そういった団体の企画に乗せられて実働する人だと目線の高さというのが大分違うでしょう。


ところでこの表が8割がたできたときに気づいたことがあります。

例えば、左下に自分の趣味が偏っている人というのは、プライベートにおいては、消費者であるというスタンスを崩さない人ではないかということです。自分個人で完結する趣味というのは、他人に影響されることが無いので、内向的な人にとっては非常に気が楽です。また、基本的にはお客様として享受できる趣味なので、これもまた気が楽ではあります。ただ、プライベートのときに自分で何も生み出さない経験が重なると「自分は普通のしがない人間だ」と、ネガティブな感情に浸りやすくなるかもしれません。


右下に偏っている人は、誰かと一緒にいることを厭わない人です。人によっては孤独耐性が無かったり、人目を気にしてばかりになったり、ということもありえるでしょう。一般的には外交的で行動量は多く、その気になればSNSに投稿するネタは沢山あるような人だと思われます。しかし、特定のホームを作らない場合、流浪の民のように様々な集団をふらふら歩き回り、常に初めましてと久しぶりを繰り返すということもありえますし、なんか凄そうとは思われるものの実態は薄っぺらいということもありえます。

例外があるとすれば、スポーツ系の人でしょうかね。スポーツって、スポーツを普及させようとするメーカーの思惑による消費活動であり、画一されたルールに従わなければならない、「消費的」に入るのですが、本気でやっている人のマインドは体育会系と呼ばれる一種の職人肌であり、左上の要素も強く持っています。


左上に偏っている人は、一目置かれるか一風変わっていると言われるような人だと思われます。人目を気にせず、自分の成すべきことを極める姿勢がそうさせるのでしょう。淡々と成すべきことをしているため、社会とのかい離ができてしまうかもしれませんが、意味のないところでネガティブになるということは少ないかもしれません。逆に悩むところがあるとするならば、理想と理想にたどり着かない自分とのギャップです。


最後に右上に偏っている人は、凄いと言われるか、面倒くさいと言われるタイプかと思われます。自分が何を成してきたか、何をしたいかは、ある程度普段から考えていることが多く、自分語りをさせると、結構長くなるでしょう。良くも悪くも自走できるポテンシャルがあります。自分の持っている専門性や能力、もしくは労力をどのように社会に広げていくかということは課題であり、素人には踏み込めない孤独を抱えることもあります。


まあ、でも、複数の趣味を持っていて、複数のエリアに趣味が分散されているようであれば、性格は重層的になりうることでしょう。現に私は左下と右上の要素が強い訳ですので。