2016年初夏、震災から5年過ぎたから、もう充分だろう、役割は終わったということで東日本大震災関係のボランティア団体を解散させました。それ以降、その年の8月に実家へ帰省したことを除けば、東北に行くこともなく、特に震災絡みの活動もすることなく、数か月が過ぎました。そして、今年も3月11日が過ぎ、震災から6年となりました。

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6年目を迎えた日の感想は「特にない」です。

東北の危機だと現地へ何度も足を運び、活動をしつつ、自分の無力さに悔し涙まで流した私でした。しかし、そのアップデートしていた情報が止まると、何かを想おうとしても何も想いが浮かび上がってこないのです。

ところで2011年は計画停電で騒がれましたが、その冬には東京ではあちらこちらに電光掲示板が光っていました。それが現実であり、案外、自分もそこから外れていないのだなということを、何でもない今年を過ごして、気づいたのでした。それが良いことなのかどうか、私にはよく分かりません。震災の翌々日の日曜日、不謹慎ブームが発生した時期、私は次のようにWEB上で日記を書いていました。




「したたかに生きる」
2011年03月13日11:09

今、練馬に住んでいるわけだが、 
あらゆることを考慮した結果がこのアパートだった。 
このエリアは西武線と都営大江戸線の2路線、バスの要所等、 
どこかの路線がダメになっても最悪なんとかなるということ。 
まぁこの判断は今回に限っていえば間違っていなかったようだ。 
おかげ様で、地震が起きた当日もバスで帰れたし、 
翌朝には大江戸線使って新宿の様子を見に行くこともできた。 
東海大地震が起こったときは練馬は北に逃げるのには便利かなとも思っていた。 
先に北が大変なことになったのは計算外だけど・・・。 

そして今回の地震で真っ先に考えたのは西に逃げることだった。 
ちょうどこの土日、岐阜に温泉旅行する予定があったんだ。 
東京が食糧難になるだろうと思ったので、 
中央道を使って、関西に行き、帰りに大量の食材を買って帰ろうと、 
割と本気で考えていた。 
あと関東近郊の原発がとんでもないことになった場合に備えて、 
2日間ぐらい疎開するような気分でもいた。 
ついでのついでに、こういう時だからこそ、喪に服さず、 
明るく愉しく過ごしたいというのもあった。 
経済の活動を必要以上に止めたら、それこそ日本が本気で崩壊するさ。 

実際のところ、長野の地震で、中央道も安全ではないだろうということで、 
結局、温泉旅行はキャンセル。家でテレビつけっぱなし生活だ。 

でも、人間って、本当にすごいよな。 
地震があった当日も、東京のうちの職場に 
運送屋のおねーさんが、時間どおりに集荷に来た。 
半分以上の店は通常営業。 
コンビニやスーパーは大忙し。 
惣菜、パン、米、カップラーメンはバカ売れ状態。 
昨日の朝、新宿駅の自販機が全部売り切れになっていたし、 
吉野家や松屋が材料不足のため閉店と張り紙してあった程だ。 
プロテスタント教徒ではないけど、 
お金稼ぐというのも悪くはない話だなと思った。 

さて、明日からの弊社の営業、どれくらい影響あるんだろう。 
東北・千葉への配送が出来ない状況だし、 
取引先が文字通り潰れていないかが心配だ。 
それが波及すれば自分もクビだしね。 
今の心配は、二番目がそれ。 
一番目は、北関東で就職しているの従姉弟の安否かな・・・。 
まぁうちの母方の家系は血筋的にとても運が強いし、 
北関東だから多分まだ大丈夫だと楽観視はしているけど。 

まずは自分、次に身内、次に知人。 
知人を多くても3人辿れば、誰かしら被害受けているから、 
手放しには喜べないね。



※ちなみ当時は、練馬住まいで会社員やっている時期でした。

冷静になって、今から見返すとずるいようにも思うし、危機的な状況の割に非常に合理的で結果的に正解に結びついた思考のようにも思います。利己的な部分がなく、全てを献身してしまうと生きてはいけませんが、そういった利己的な要素を残しつつも、どこかの部分で私は世の中のために役に立ったのだろうか?と私は何度も何度も自問します。