米、節分用の豆まきセット、チョコ菓子、その他菓子、おふだ、オリーブオイル・・・。

これら、この1か月間にお客さんや占い関係者より頂いたものです。占い師というのは気持ちを大事にするお仕事ですが、逆にお客さんからお気遣いいただくことも結構多いです。また、鑑定して、定価のお支払いをお願いするのですが、心付けをしてくださる方もいらっしゃいます。

あと、凄く素敵な封筒にお金を包んでいたり、便せんが無い状態で手渡しする際に「裸のままですみません」と一言付け加えたりする方もいらっしゃいます。

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とある先輩占い師曰く、貰えるものはありがたく貰っておくのがこの業界の常識とのことで、一部の超有名占い師も、定価の鑑定料の他に、何か心付けは?みたいな雰囲気を醸し出して、それが常態化している人もいらっしゃいます。

実際のところ、私も頂けるものはありがたく頂戴して、大変助かっていますが、基本的には私は定価さえ払って頂ければ、お気遣いは特に求めていないです。(←何かのフリじゃなくて、鑑定をご依頼いただく方は定価のみで、本当に結構ですよ)

私に何かお布施みたいなことをしても、私は偉い立場の人間ではないので気を遣う必要は不要ですし、祈祷の専門家ではないので開運には繋がらないですし、私が気分が良くなって多少リップサービスをしたところで本質的な運は変わりませんので。

ただ、そういった心遣いができる人には、即物的に感謝するだけでなく、幸せになってほしいと心から思いますし、実際に心遣いができる人は一時的な不調はあるにせよ、占うまでもなく総じて世の中をうまく渡っていける力はあるのだろうなとも思います。

また、そうやって手渡された物理的なお金も物凄く色々思うところがあります。「この状況を何とかしたい」「もっとしっかりやって、いい人生を送りたい」など、頂いたお金に念みたいなものが籠っているような錯覚を覚えます。少なくとも、直接的にお金の上流が見えない銀行振り込みされる数字だけのお金よりも、何か違うものを感じるのです。

詐欺師などは金持ちよりも弱った人を相手どった方がやりやすいと豪語しますが、この念が籠っているように感じられるオサツを見ると、悪いことまでして商売はできないな、価値を提供する商売しなきゃなと心底思います。

お地蔵さんみたいというのは言い過ぎですが、僧侶・神職の気持ちが何となく分かるような気がします。聖なる乞食とでもいいましょうか。ときどき、私の中国人元上司が「世の中には勝ち組、負け組、僧侶がいる。どれになりたい?」と言っていたことを思い出します。「勝ち組、負け組」の話をする人はいますが、この第三のカテゴライズの存在を知っていた元上司には驚きを隠せません。そして、若いうちから聖なる乞食をしているのは、どういうことなのだろうと、自問自答している日々なのです。