「優しい」とは何かと考えると、意外と難しいのではないかと思います。

例えば、雨の中、段ボール箱に捨てられた子猫に傘を差してあげること。
風邪で体調が悪い友達に「大丈夫?」と声をかけてあげること。
飲み会でサラダをみんなの皿に取り分けること。
レジャー施設にてきびきびとかつ丁寧なおもてなしの接客をすること。

これらって、優しいのでしょうか?

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これらは、優しいという言葉が当てはまらない訳でもありませんが、時と場合によっては、どこか優しいと言うのと程遠いことがあります。これらの行為が「優しい」に昇格するにはどのような要素が必要なのでしょうか? 

【1】安心感がある

まず、安心感を与えられるということが、優しさの要素として考えられるでしょう。自分が困っているとき、安心できない人には、リラックスして身を委ねることはできません。安心とは、日頃の行為から培ってきた信頼に直結します。

例えば、約束を守る、言っていることを二転三転させないというのは非常に大事です。参加表明した飲み会で当日にドタキャンをする際、「体調が悪くなった」と理由を伝えたとしても、幹事から見れば信頼度は減退します。(仮病であれば嘘つきということですし、本当に病気であれば体調管理能力に疑いが生じます)また、初対面であっても表情などで安心感を与える人はいますが、それは日頃からのメンタリティに左右されるわけで、常に仏頂面の人が急に笑顔になるのは難しいことでしょう。

デート当日にドタキャンする人、いつもはクズだけど時々いいことをする人というのは、きまぐれにかわいそうな猫に餌をやるような子どもみたいなもの。吊り橋効果的な意味で魅力的かもしれませんが、全然安心感が無く、すなわち、優しそうな姿はその場限りのまやかしの可能性が高い訳です。

【2】相手に同調する

相手の立場になって行動するというのが、世間一般で優しいとされていますが、「相手に同調する」というのはまたニュアンスが違います。目線の高さを同じにするとでも言いましょうか。これが無い状態で、良いことをしようとしても、力あるものが力なきものに施しを与えるといった構図になり、場合によっては嫌みになることもあります。

なお、相手と同調したからといって、相手と同じ行動をするのはまた違った話になります。不器用な人は同調したからといって、相手の行為と同じことがそもそもできません。逆に同調しすぎて一緒に困っているだけだと、困ったちゃんが増えるだけです。

ところで、私はときどき考えるのですが、優しさというのはエロスと似たようなものがある気がします。元々、古典における「やさしい」という表現は漢字に直すと「艶しい」となり、好色であることを指すのです。エロスというのはある種、男女の融合・合体を示すものですが、必ずしも、肉体的である必要はなく、感情的な合体でも起こりうることもあります。そして、感情的に合体するということは、ペースというか、波長というか、息遣いというか、目線というか、そういった類のもののシンクロが必要でしょう。言語的な意味で、優しい=エロスの相関性はあるわけです。現代社会の実用言葉的な意味では、さすがに優しい=エロスは言い過ぎかもしれませんが、この同調ということについては優しさを考える上で、案外、無視できないものかもしれません。

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【3】身を切る

飲み会でサラダをみんなの皿に取り分けるという行為は、とても気が利く行為です。しかし、気が利くというのと優しいのとは本質的に違うでしょう。気が利くというのは、知識、経験、想像力、瞬発力の4要素に基づきます。適性の有無はあるにせよ、教育や訓練によって、ある程度までは改善されるものです。経験を重ね、癖のレベルに到達すれば、相手の感情は想像するにしても、自分の感情を介すこともなく、自然にスマートな行動ができるようになります。

ここでは特に、自分の感情が不要というのが大きなポイントです。優しさは感情に起因します。そして、その感情というのは身を切られるような想いとでもいうべきものです。優しそうな行為をする際、理性的にリスクやコストの計算をするかどうかは別としても、自分が不利になったり、割に合わない状況になったりすることを受け入れるというのが、その感情の源泉となります。

サラダを取り分けるというのが、飲み会の場であれば、その行為自体はそれほどコスト(この場合は時間と労力)がかからないですし、大して感情が揺さぶられるものでもないので、優しさの度合いを測ることはできません。逆に例えば、職場で1分でも惜しいほど忙しい人が、仕事の合間にコーヒーを煎れてねぎらってくれるというのであれば、飲食物を提供する行為にしても意味合いは違ってくるのではないでしょうか?

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【4】無償である

旅館の女将が最高級のおもてなしをしてくれたとき、それを優しいと表現するかといえば、微妙なところがあります。サービスの安定感があり、顧客目線になっているにも関わらずです。ホスピタリティのある接客業の人に優しさがあるか無いかだと、少なくとも優しそうな行為というものは体得しているでしょうし、職業適性からそういったマインドも理解していることが多いでしょう。

だからといって、その人が本質的に優しいかとはまた別の問題ではあります。そこにはある種のプロ意識が働いているのであり、サービスと引き換えに対価が要求されます。有料サービスを受け終わった後でお金は払いませんとなれば、その優しそうな行為は止まることでしょう。人というのはTPOによって態度は変わるものですが、報酬があるという限定条件下でのみ優しそうな行為であるならば、時間的割合として優しい人とは言いづらいかもしれません。優しくない断じるのも、また違うのですがね。

なお、金銭だけでなく、何かしらのメリットを求めての行為であれば、「無償である」に反しています。



優しさって、考えてみると奥深いものです。これを機に自分の頭でも考えてみると面白いかもしれません。そういえば、私、昔、母親からピカピカに磨かれた500円玉を何枚か貰ったことがあります。おそらく、同じ金額であってもシワシワの1000円札で貰うよりも、子ども心には嬉しかったのではないかと思います。この違いにこそ、優しさの本質があるような気がしてなりません。