私が前職でリストラされたのは、幾つかの要因がありますが、大部分は会社の業績不振と新規事業の失敗で社内評価が落ちたことでした。今回の記事はもう時効だとは思うので、昔語りというか、その新規事業の失敗について書いてみます。

flag-1040555_640


2012年の夏から秋にかけて、北京の子会社で働いていた私は、中国に住んでいる日本人ユーザーと日本に住んでいるとある分野の専門家をインターネットで繋げる、オンラインサービスの新規事業の立ち上げをしようとしていました。中国には10万人ぐらいの日本人が住んでいますが、そのうち8割以上は上海に密集しています。上海では、日本人向けのサービスが充実しているものの、北京やその他の地域だとそこまで充実している訳ではありません。という訳で上海はもちろん、上海以外の地域での需要があるのではないかと見込んでいた訳です。

しかし、2012年9月から一気にその新規事業は瓦解に向かったのです。 

1928年9月18日。満州事変の発端となる柳条湖事件が起こりました。それが起因して、中国では9月18日を国恥記念日としています。2012年というのは、民主党政権が外交でヘマを連発し、日本が中国に完全に舐められていた時期でした。それに付け込んで、中国共産党政府は、人民のうっ憤を日本に向けるようにガンガン煽っていました。その結果が国恥記念日前の反日暴動です。さらに気候も人民を煽ります。北京は、夏は暑いし、冬は寒くて空気が汚いのですが、短い秋は絶好の行楽日和となります。みんなで楽しくお散歩気分で暴動を起こすのです。

現地に住んでいた日本人はこれに怯えました。現地人に「何人ですか?」と聞かれると、自衛のために「韓国人です」と答える人もちらほらおりました。また日系企業は、暴動が来るのを恐れて、中国の国旗を玄関に掲げておりました。日本関連の商品を取り扱っている中国人経営の飲食店や小売店は、「釣魚島(尖閣諸島)は中国固有の領土」という垂れ幕を掲げていたほどです。


さて、この暴動が私の新規事業にどう影響したかということです。おおよそ3つの致命的な影響がありました。

1つ目は、日本人の相次ぐ帰国です。中国経済減速を察知し、帰国のタイミングを見計らっていた人たちは、これを機に帰国するようになりました。つまり潜在顧客の母集団が縮小の方向へ加速していきました。

2つ目は、まともな営業活動ができなかったことです。テスター兼会員募集の活動として、説明会などを開こうとしましたが、日系企業の社員には外出禁止令が出て、説明会どころではなくなってしまいました。電話でのプリセールスはしたものの、説明会やら対面でのクロージングができず、いたずらに時が過ぎていく状況でした。外出できないからこそのオンラインサービスではありますけど、そもそもそのサービスを知ってもらわないと始まりません。ネット広報だけでは心もとなく、情報誌や会合での口コミなどで知ってもらうに至るまでは、外出してもらわないと話が始まらないのです。

3つ目は、回線状況の悪化です。中国が軍事行動を起こすとき、北朝鮮の動きが活発なとき、日中間の関係が著しく悪いとき、日中間の通信状況が悪くなります。案の定、この時期も回線状況が悪化し、あまり快適なサービスとは言えませんでした。


以上の状況より、この事業は中止しなければならなくなりました。環境要因が大きいとはいえ、私の評価の減点対象のひとつにはなった次第です。これにより、中国共産党、いたずらに他国に媚びへつらい舐められる日本の政治家、逆に戦略無く他国を怒らせる日本の政治家には、マイナスの感情を抱くようになりました。

でも、本当は、日本人上司の私の指示に従ってくれた中国人部下たちに申し訳なく思いましたね。せっかく日本語を一生懸命勉強して、日系企業の仕事をしているのに、当時、家族や友人からの評判は大丈夫だったのかなと。私は部下に怖くてそれを聞けなかったのです。