前回の記事:毒霧の国からの脱出

2013年の夏、日本の本社から帰任するようにと連絡がありました。
不可解なのは、帰任後の配属先について何の情報も教えてくれないこと。とにかく一度戻ってこいと。大急ぎで業務をマニュアル化して引き継ぎ、引っ越しの手配を終え、北京の知人にご挨拶。あまりにも急だったため、引っ越し業者は日系の「北京クロネコヤマト」に見積もりを依頼。日本の家が決まっていない状況でもフレキシブルに対応できるのがウリです。ただ北京に引っ越すときと比べてかなりの割高に。それでも何故か本社の経理をパスするのです。また飛行機についても、当時、北京-成田間を一番格安で飛ぶ「デルタ航空」ではなく「全日空」を使ってもいいと許可もおりました。

そんなこんなで、日本に帰国して、次のポジションに関する面談。
提示されたのは「会社都合退職」or「総務人事に関わる部署」。

・・・これまでの不審な待遇から考えるに合点はいきました。返事をする前に今後の事業戦略を確認すると、私の社内職歴から一番かけ離れた部分を強化していくらしく、確かに私の介入余地はありませんでしたし、その戦略自体も私にとっては首をかしげるものではありました。あっさりと「会社都合退職します」と宣言すると、面談担当者も逆に驚いて「ご家族に相談しなくてもいいのか?」と聞いてくる始末。笑顔で、「このように言われる可能性は予期していましたので、予め、両親とは相談済みです」と事実を答えました。リストラに対してすんなり納得できたのは、元々とある不満があって頭の中で辞表がちらつく「渡りに舟」状態だったことも否定はしませんが、それと同様にあの会社の中で行きつくところまで行きつき、自分の限界が見え隠れしていたことが大きかったように感じます。また「会社都合退職」というのは「自己都合退職」に比べて、退職金や失業保険の受給、次の仕事を探すときなどで不利になることが少なく、向こうがそう言ってくれるうちに乗った方が得策だとも思いました。扶養者がいないって身軽でいいな。


その後、人事の方は、刺激しないようにか努めて笑顔で退職の事務処理に対応してくれましたし、退職日の調整や細かな依頼についても丁寧な対応でした。こうして、スピーディ、且つ、笑顔でさようならを言いました。問題はあまりにもスピーディに退職したので、次に何をするか決めていなかったことです。


続きの記事:リストラの予感があって、まず何をしたか