ムスリム(イスラム教徒)は、無宗教者から見れば戒律が多く、とても大変そうに見えます。タバコ・賭け事の禁止。豚肉食の禁止。アルクルアーン(コーラン・イスラム経典)を読めなくなるぐらいの飲酒の禁止。女性の衣服の制限。1日5回の祈り・・・。

アルクルアーンや指導者の指示に従って、彼らは戒律を守っています。しかし、世界宗教の1つとして沢山の信者を抱えるこの宗教では、あまりにも理が適っていない場合、反発が起きる可能性すらありえます。果たして、本当にそれらの行為は理にかなっていないのでしょうか。今回は異教徒からすれば特に大変そうに見える「1日5回の祈り」の合理性について考えてみます。

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【1】イスラームの教えからの考察

まず、そもそも何のために何を祈っているのかをイスラームの教えから探ってみましょう。端的にまとめれば、祈りは「唯一神アッラーは、人智を超える神性な存在であり、人は神のしもべ。神に対する絶対の服従と崇拝、そして己の欠点に気付く行為」という意味合いを持ちます。そして、1日5回祈るのにも、下記のような意味があります。

名称時間帯祈りの意味
ファジュル夜明け前春、生命の誕生に相当する時間。
世界を創造した神の偉業を呼び起こす。
ズフル正午過ぎ真夏、青年期に相当する時間。
この世の恵みに感謝をする。
アスル遅い午後秋、老年期に相当する時間。
慈悲深い神の行為を思い起こす。
マグリブ日没日没、秋の終わりに相当する時間。
人の死、この世の破壊を思い起こし、慢心から目覚める。
イシャー冬、死後に相当する時間。
この世とあの世の暗さから、どれほど神の光が必要かを認識する。

1日の時間を、季節、人の一生、宇宙創生から最後までに見立てています。詰まる所、5回の祈りには、それぞれに意味があり、5回祈らなければならないようです。外部から見ると、中々理解はしづらいかもしれません。


【2】教団運営からの考察

教団を運営する側から考えると、行動の規制は、組織の結束に一役買います。大まかなメリットは3つです。

・一般社会と異なる行為をすることで、信者は「自分たちは特別な存在」だと認識できるようになる
・交友や結婚は、生活習慣が同じである信者同士が楽であり、コミュニティが強固になる
・生活習慣が染みつくと、そこから中々離脱できなくなる


ところで断食の話となりますが、宗教学に詳しい架神恭介氏は、宗教的行動について、次のような体験を自著に書いています。



バハイ教の信者に「どんな時に自分がバハイ教の信者であることを実感しますか?」と尋ねた
(中略)
その回答は「周りがお酒飲んでる時に自分だけ飲まない時」「みんながごはん食べている時も自分は断食している時」などでした。
 
信者にとっては、教義を知るだけでなく、具体的な行動を通しての方が、自分が信者であることを強く認識できるのでしょう。




【3】現地での体感からの考察

私はイスラームの地域に何度か旅行に行ったことがあります。具体的に挙げると、エジプト、モロッコ、アラブ首長国連邦、中国(新疆ウイグル自治区)です。いずれも、日が出ている時は、とにかく暑い地域です。特に夏場の昼は50度近くまで気温が上がります。この他にもイスラームのほとんどの地域が、アフリカ、中東、東南アジアと比較的暑い地域に集中しています。

そんなところで炎天下の昼間、仕事をし続けたいと思うでしょうか?おそらく、時々は休息したかったハズです。祈りの時間を挟めることによって、仕事を一時中断できる大義名分になります。また、祈りの時間は早朝にもあり、この時間は暑くありません。祈りのために早朝に起き、そのまま活動すれば、昼間の休憩分は取り戻せるハズです。イスラームの灼熱の世界では、これが合理的な生活習慣なのでしょう。



宗教の内側の合理性については、外部の人では、教科書で調べたり、経典の字面だけを読んだりしても、理解しづらいものです。外部の人が訳が分からないと思っても、正しく理解していない限り、安易に否定してはいけません。