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自分のプランどおり、最終出社日と退社日の合間にあちらこちらを旅しました。旅と同時に沢山の人にも会いに行きました。そのうちの1名は東ティモール在住のミヤ。彼は2年前まで大手コンサルに勤めていました。しかし、コンサルというのは助言をメインにする仕事なため、自分で何か事業を動かしたいという衝動に駆られることになっていき、退社を決意するに至りました。その後、青年海外協力隊に参加し、東ティモールに派遣されました。今は観光事業を発展させるという名目で、東ティモール政府に掛け合いながら広範囲の活動をしています。

まずは、ミヤに会いに行ってみようと決めたのです。


成田から、インドネシアのジャカルタまで8時間、バリ=ディンパサールまで2時間フライトしてトランジット泊、さらに翌日4時間フライトして、ようやく東ティモール首都ディリに着きます。ミヤとは空港で待ち合わせしたのですが、一向に姿を見せず。国際電話でも掛けようかと試みるものの、世界中大抵の国で使える日本の大手通信会社のSIMが使えないということが判明。英語もあまり通じない絶望的な状況で1時間近く待ち、ようやく現れたミヤと再会します。何でもタクシートラブルがあったとか。


この国は、首都でさえ15万人と人口が少なく、経済活動はあまり活性化している状態とは言えません。飲食店もそれほど多くは無いですし、外資系スーパー以外でしっかりした店は片手に数えるほどしかありません。驚くべきことに、家電はメイドインチャイナが高級品として崇められている世界です。率直に言うと、この国の生活は不便だという印象がありました。

また、上記タクシーの事例のように、南国特有の大らかさによって、仕事の歯車がかみ合っていません。おそらく日本社会の感覚にどっぷり浸かっているビジネスマンだと精神的にやられる環境だと思われます。


けれども、ミヤはそんな社会にうまく適合し、ひょうひょうと現地の方の間を立ち回っていました。道行く沢山の人に挨拶をし、向こうも「ミヤ!」と話しかけてくる人気っぷりです。プライベートの時間は、町唯一のテニスコートで現地の人とスカッシュを愉しむなど、生活を謳歌していました。JICAの派遣が終わったら、またこのティモールに戻って、国の発展に貢献したいと言っている程です。そのときの彼には、数年前会社を辞めようと悩んでいたような憂いが、まるでありません。

私はただただ、その輝きに圧倒されたのでした。


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